そこで紹介した数多ある興味深いエピソードから、厳選した秘話をお届けしよう。
今回は浪速の風雲児・イナの登場だ。ガンバ大阪アカデミーで英才教育を施され、エリート街道を歩んだ若武者は、21歳で欧州きっての強豪アーセナルの門を叩く。以降、イングランドのみならずトルコ、ドイツ、フランスのクラブを渡り歩き、2010年に30歳で日本サッカーへの復帰を果たした。
欧州トップシーンを駆け抜けた波瀾万丈の日々。稀代のボランチはその「9年間」をどう振り返るのか。
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2001年夏、稲本潤一は9年半を過ごしたガンバ大阪に別れを告げ、21歳で欧州行きのチャンスを掴んだ。
レンタルでの移籍先はなんと、プレミアリーグの強豪アーセナル。アーセン・ヴェンゲル監督自身がコンフェデレーションズ・カップでのプレーを見初め、ラブコールを送ったのだ。言うなれば相思相愛で、誰もが明るい展望を描いた。
わたしは、アーセナルのプレシーズンキャンプに同行した。ユーレイルパスを駆使して、オーストリアのグラーツからベルギーのベベレンまで。日を重ねるにつれ、稲本の表情がこわばっていったのを思い出す。なかなかトップチーム同士のテストマッチで起用されず、取材しているこちらもフラストレーションが溜まった。
ベベレンは当時ベルギー・リーグ2部で、アーセナルと人材供給の提携契約を結んだばかりだった。さっそく2名の若手選手が北ロンドンからレンタルで駆り出され、武者修行がスタート。その発表会見の場で、わたしはフランス人指揮官に尋ねた。
「イナモトもレンタル移籍する可能性はありますか?」
すると名将は一瞬にして不機嫌になり、「イナには期待している。そんな可能性などない!」と吐き捨てられた。どうしてあんなに怒ったのだろうか。
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May 06, 2020 at 03:23AM
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【黄金の記憶】風雲児・稲本潤一はアーセナルでなにを迷い、なにを決断したのか - サッカーダイジェストWeb
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