テレビで紹介されている自分と実際の自分のギャップ……2度の休職を経て塩谷さんが気づいたこととは(撮影:山中康司)
育児、介護、闘病、学業など、さまざまな理由で、働くことができない時期がある人は少なくない。そんな離職・休職期間は、日本では「履歴書の空白」と呼ばれ、ネガティブに捉えられてきた。
しかし、近年そうした期間を「キャリアブレイク」と呼び、肯定的に捉える欧米の文化が日本にも広まりつつある。この連載では、そんな「キャリアブレイク」の経験について、さまざまな方にインタビューする。
今回話を聞いたのは、画家として活動する塩谷歩波さんだ。
銭湯を建築の図法で描いた『銭湯図解』で注目され、TBS『情熱大陸』、NHK『人生デザイン U-29』など、数多くのメディアに取り上げられてきた塩谷さん。
しかし、初のエッセイ集『湯あがりみたいに、ホッとして』(双葉社)では、華々しく見える活躍の裏に、2度の休職経験があったことを綴っている。
前回記事では、1度目の休職を経て「銭湯の番頭兼イラストレーター」としてのキャリアをスタートするまでの話を聞いた。しかし、その後塩谷さんは2度目の休職を経験することになる。
いったい、彼女になにがあったのか。そして、2度の休職から気づいたこととは。
メディアで紹介される自分が怖くなった
ーー前回記事で、1度目の休職期間についてお聞きしました。建築家になるためのエリートコースに乗っていたものの、体調を崩したことで続けられなくなり、「番頭兼イラストレーター」の仕事をすることになったと。その活動がメディアに注目され、有名になっていきましたよね。
塩谷:はい。でも実は、1度目の休職の頃に抱えていた根本の問題は解決していなかったんです。設計事務所を辞めて、銭湯の仕事をするようになって、心身の調子が良くなったように思えたのですが……今考えれば、躁のような状態になっていただけ。むしろその反動で、そのあと抑うつ症状が出るようになったんです。
からの記事と詳細 ( 「情熱大陸」にも出た彼女が絶望→休職経て見た光 - 東洋経済オンライン )
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