終活や人生会議ではなく「死」を気軽に語る意義
「デスカフェ」――。なんともおどろおどろしい名称とは裏腹に、そのコンセプトは“カジュアル”だ。 デスカフェとは、死をタブー視せずに受け入れ、気軽に語り合う場のこと。ヨーロッパ発祥で’11年から世界に広まり、70か国以上で開催され、日本でも関心が高まっている。今回、週刊SPA!記者は実際にデスカフェに参加してみた。 会社員の山名幾多郎さんが開催するオンラインデスカフェでは、仏教哲学の簡単な講話があったあと、参加者5人に対しこう問いかけた。 「死に直面したとき、あなたは何をしますか? マイクとカメラをオフにして、5分間考えてみてください」 穏やかなBGMが流れるなか、じっと目を瞑り思考を巡らせる。死ぬとなったら自分はどうしたいのか。普段考えていない問いになかなか答えは浮かばない。 時間になり、順に参加者の回答を共有する。「家族と過ごしたい」「人生を振り返る」「普段通りに過ごすと思う」「正直、考えがまとまらない」――。理由を聞くと「やっぱり一番大事な人と過ごしたい」「死をネガティブに捉えていないので自然に受け入れたい」「心残りのないようにしたい」など、死生観が垣間見えて興味深い。 筆者は「今ある悩みを解決したい。何かやりたいというより、目の前の不幸がなくせればと。後ろ向きかもしれないですが……」と答えた。主催者は「なるほど」と笑顔で反応し、否定も肯定もせずに、皆が耳を傾ける空気に包まれていた。
口に出しにくい死の経験をフラットに話せる
死を突き詰めて考えていくことは、どう生きたいのかという問いにつながる。なんだか不思議と晴れやかな気分になり、ポジティブな効果を感じた。 看護師の小口千英さん、図書館司書の田中肇さんが共同主催したオンラインデスカフェでは、テーマを設定せず、自由な談話スタイルで行われた。参加者7人から話題を募り、「コロナ禍での死者の見送り方の変化」から始まった。 「コロナの影響で遠方の祖母のお葬式に参列できませんでした。そのせいで、祖母が亡くなったという実感が湧かず、生と死があやふやになっている印象があります」 会は挙手制で進行し、一人が話しだすと、触発されたかのように続々と手が挙がる。話題は葬式の意義へと移った。 「お葬式はその人の死を受け入れるためにも必要。そういう意味で、お葬式は残された人の自己満足なのでは」 「大事な人こそお葬式に出ないようにしている。記憶にさえ残っていればその人は生き続けている」 筆者も思うところがあり、孤独死で葬式が行われなかった知人の出来事を語った。普段だと口に出しにくい死の経験をここならフラットに聞いてもらえた。 ほかにも、身近な人の自死の経験や、海外と日本の死生観の違い、安楽死の是非など、さまざまな死の体験や意見に触れることで、自分の死生観がほぐれ、養われるような感覚があった。
からの記事と詳細 ( 死を気軽に語り合える「デスカフェ」ってなに?参加してみた(週刊SPA!) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース )
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