古典でも現代でも、物語に「男装の少女」や「女装の少年」などが登場すると聞くと、
「え、なになに、面白そうじゃないですか」
と、つい身を乗り出してしまいます。
芸能では、歌舞伎の女形の美しさや、宝塚歌劇団の男役の凛々しさには、魅了され……
今回、渋谷区立松濤美術館で開催中の「装いの力―異性装の日本史」展では、日本史の中で異性の装いがどんな風に取り上げられてきたのかが見えてきます。
古代からの「異性装」の物語
異性の装いで登場する主人公として思い浮かぶなかで、古代の人……というと、やはり「日本武尊」でしょうか。ヤマタノオロチをも討ち取る勇猛果敢な人物ですが、敵である熊襲を討つために、髪を下ろして童女の装いをして酒宴に潜り込みます。そして、酩酊した敵を討ち取るのです。その姿を現しているのが、三代山川永徳斎の人形「日本武尊」。衣を被いた優雅な見目であるけれど、その眼光は鋭く、今しも斬りかかりそうな躍動感を感じさせます。
また、戦前の日本においてはポピュラーな存在であった神功皇后も「異性装」の人でしょう。第14代仲恭天皇の后であった神功皇后は、夫亡き後には鎧を着て戦場に赴いた女武者であると伝わります。その勇ましい甲冑姿と、柔らかい面差しに、神功皇后の背負う重さと物語を感じさせます。
そのほかにも、古典文学の中にはたくさんの異性装の登場人物がいます。
そんな作品の一つが「とりかへばや物語」でしょうか。雄々しい少女と雅な少年の双子は、それぞれに自らの性を偽って宮中に出仕。娘は帝に仕える官吏となり、息子は後宮で女官となります。ラストは、娘は女官に、息子は官吏に入れ替わりますが、当時の男女の「あらまほしき姿」というものがよく見えてきます。そして同時に、この物語を書いた人は、当時の「男らしさ」「女らしさ」に対して、どんな思いを抱いていたのだろう……と思うのです。
凛々しい「女武者」と優美な「若衆」
戦の多かった中世には、やはり男の武者が大きな力を持ち、活躍していきます。そして、そこに生きる女性たちもまた、強さや勇猛さは決して欠点ではなく、むしろ「魅力」とされてきました。
「平家物語」に登場する巴御前は、武勇の人でありました。また「吾妻鏡」に記述のある板額女もまた、和田義盛らと共に合戦に臨んでいます。
戦場は男性だけのものだと思われていますが、古戦場の跡地からは女性の遺骨が出て来たこともあるとか。現代でも、武術やスポーツに優れた女性がいるように、当時も男性よりも強い女性たちもいたのでしょう。彼女たちは自ら戦場で戦っていたのかもしれません。
戦国時代に武勇で名を馳せた井伊家には「朱漆塗色々威腹巻」は、女性用に作られた甲冑が伝わります。これは十九世紀の江戸時代に作られたもので、実際に戦で用いられたものではありませんが、女性たちもまた、戦に赴く覚悟を持つ井伊家ならではの御宝と言えるのかもしれません。
やがて戦の世が終わり、泰平の江戸時代がやって来ます。すると次の登場してくるのが、優美な若衆たち。彼らはある意味では泰平の世を象徴する存在なのかもしれません。葛飾北斎が描く「若衆文案図」は、物憂げな表情が恋を思わせます。若衆というと、男色の対象と思われがちですが、女性もまた若衆との逢瀬を楽しむこともありました。
古典や史料を見ていると、現代に比べて恋愛対象としての「男性」「女性」について、とても大らかだな……と感じることがしばしば。例えば古典の謡曲「松虫」などは、男が男を恋い慕う話です。そこには、静かな心情描写はあるけれど、同性に対する思慕に対し、禁忌や葛藤がありません。殿様が家臣に恋文を認めることもあれば、ある小姓を巡って男同士で揉めた「高坂蔵人の乱」や事件などもあります。御家騒動にまで発展するとはた迷惑な話ですが、それでも心のままにいられる土壌は、あったのではないかと思うのです。
芸能としての「異性装」
やはり「異性装」の華やぎといえば歌舞伎でしょう。
この展覧会でも、たくさんの歌舞伎の浮世絵を見ることができます。
歌舞伎の祖である出雲の阿国は、自らが男装し、男の役者を女装させ、その二人の恋模様を描いた「茶屋遊び」という演目で、一躍人気を集めたとか。
やがて歌舞伎はいわゆる「野郎歌舞伎」と言われる、男だけの芸能として発展していきます。そのため、戯作の中には「男装の麗人」や「女装の美少年」といった人物が数多く登場します。現代でも人気の「三人吉三」のお嬢吉三や、「白浪五人男」の弁天小僧菊之助など、女性と見紛う美しさが、不意に男としての凛々しさに変わる様が、役者の見せ場でもあります。
また、強い女性の登場人物も多かったようです。勇ましい女を演じることを「女武道」と呼び、立ち回りもできる女形たちの見せ場となっていたとか。
読本などでも、武勇の女性を描いた物語は意外に多く、「白縫譚」など、男装の女性が登場します。また、芸者たちによる男装の芸も人気が高かったとか。
現代でも、名うての歌舞伎役者となれば、立役から女形へ早変わりすることで、あっと驚かせる場面もあれば、そこにいるのは天女かと見紛うばかりの舞踊を見せてくれる女形もいます。これが伝統の芸能として受け継がれていることの面白さを、改めて感じます。
時代の変化と「異性装」
この展覧会では、第二会場からは「近代以降」の日本の「異性装」を展示しています。
すると、第一会場とはがらりと雰囲気が変わるのです。何が違うのだろう……と、考えながら見ていたのですが、ここからは「禁忌」の香りがするのです。
明治政府は、明治六年(1873年)に異性装を禁止する法令を出します。「男ニシテ女粧シ、女ニシテ男粧シ、或ハ奇怪ノ粉飾ヲ為シテ醜體ヲ露ス者」を罰したのです。
何故、こんなことを言いだしたかと言うと、彼らが気にしたのは「外国人の目」だったようです。西洋の文化の根幹である「聖書」においては、異性の装いをすることを厳に戒めています。そのため、女装する男も男装する女も、禁忌とされてきました。彼らからすると、江戸の異性装への大らかさは、受け入れがたいものであったのでしょう。
そして異性装は突如として社会の禁忌となりました。
もちろん、物語としての「異性装」も存在します。私も子どもの頃から親しんできた「ベルサイユのばら」や「リボンの騎士」など、男装したヒロインが、その立場と自らの心の間で葛藤する物語は、古代から続く普遍性があるのでしょう。
しかし近世以前までは、ゆるやかに普通の社会と共存していた「異性装」とは違い、近代のそれは強烈な「自己表現」や「意見」にもなりました。
もう一つの「自己表現」としての「異性装」は、一言で感想を言い表すのがとても難しいと感じます。ただ、古橋悌二たちが結成した「ダムタイプ」による「S/N」には、性を越えていくことへの強い希求にも似たざわめきを感じます。そして、ドラァグクイーンに見られる妖しい表現に、既存の「型」を壊す力が沸々と滾っているような……。
古今東西、どこの国、どこの時代でも、なんとなく「性」と「装」には密接な関わりがありました。しかし今、その境界を少しずつ壊そうとしているように思います。そしてそれが一つの自由への希求でもあり、既存の価値観への反抗でもある。
「さあ、あなたはどう感じる?どう考える?」
そう絶えず問いかけられているような気がしました。
「装いの力」とは
何故、「異性装」の物語に惹かれるのでしょう。
装いは、日々の暮らしの中に当たり前に存在しています。しかし同時に「何を着るか」は、自己表現でもあるのです。女性が女性の装いを纏うこと、男性が男性の装いを纏うことは、当たり前とされています。
しかし、異性の装いを選んだ時、そこには「当たり前」を壊す大きな力があるのです。その理由は、歴史の中で異なります。「立場」や「時代の要請」であることもあり、「自己表現」や「反抗」であることもある。そのいずれであるにせよ、「異性装」の理由にまつわる物語には、抗いがたい魅力があります。
それはどこかで誰もがほんのりと、「今の私」という装いを壊したいという願いを抱いているからかもしれません。
歴史と共に「異性装」を振り返ることで、揺さぶられてみてはいかがでしょうか。
永井紗耶子さん:小説家 慶應義塾大学文学部卒。新聞記者を経てフリライターとなり、新聞、雑誌などで執筆。日本画も手掛ける。2010年、「絡繰り心中」で第11回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。著書に『商う狼』『大奥づとめ』(新潮社)、『横濱王』(小学館)など。第40回新田次郎文学賞、第十回本屋が選ぶ時代小説大賞、第3回細谷正充賞を受賞。『女人入眼』(中央公論新社)が第167回直木賞候補に。
からの記事と詳細 ( 【探訪】「当たり前」を壊す「異性装」の力「装いの力 異性装の日本史」 渋谷区立松濤美術館 小説家・永井紗耶子 - 読売新聞社 )
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