2018年12月、エリザベス・ガレット・アンダーソン・スクールでのトークイベントにミシェル・オバマが登壇し、学生たちを激励した。Photo: Jack Taylor/Getty Images
2018年12月、ロンドンの女子校で学生たちを前にトークイベントを行ったミシェル・オバマ前大統領夫人が、「希望の象徴」と見られることについてどう思うかと聞かれ、こう答えた。
「こうやってみなさんが私の話に耳を傾けてくださっていることに対して、私は今でもまだインポスター症候群の感じがしています。その感じは決して消えたことがありません」
アメリカのファーストレディとしての公務を立派に果たし、プライベートでは夫と2人の娘たちと円満な家庭を営んでいるミシェル・オバマを今も悩ませるインポスター症候群とはいったい何なのか?
インポスター症候群のカラクリ。
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インポスター(imposter)とは詐欺師という意味で、インポスター症候群とは「名声や成功を手に入れた人が、自分の能力はさほど高くないのに過大評価されている、周囲をだましている詐欺師のような気分になる」という心理状態である、とされている。しかし厳密には、シンドローム=症候群とするような疾患や精神障害ではなく、むしろ成功した人の多くが感じる不安や緊張であるという見方が心理学者の間でも一般的となっている。
初めてインポスターという言葉が使われたのは、1978年にポーリーン・クランスとスザンヌ・アイムスという2人の心理学者が書いた「高い業績を達成した女性たちの中にあるインポスター体験」という論文だ。2人は5年間かけて、企業で高いポストについたり、アカデミックな世界で業績をあげたり、有名大学で学ぶ女性たち約150名を対象に、成功を手に入れるとどんな心理状態になるのかを調査した。すると多くが「こんな自分が評価されて成功したのは信じられない。周囲をだましているような気がする。いつか自分の本当の能力がばれるのではないかと不安」と心情を吐露したのだ。
1970年代のアメリカといえば第二波フェミニズムのまっただ中で、まだ女性が高い地位についたり、業績が認められたりすることがめずらしかった時代だ。だから、注目されることに女性が怯えを感じたのではないかとも思われたが、女性の社会進出が進んでからも、インポスターの心理にとらわれたと告白する人は後を絶たず、そう打ち明ける人々の中には、前述のミシェル・オバマをはじめ、対外的には順風満帆な「勝ち組」人生を邁進しているように見える著名人やセレブリティたちも多く含まれた。加えて、「女性に多い」とされてきたインポスター症候群だが、女性だけでなく男性も、また有名人や成功者だけでなく一般の人たちもその心理に陥ることが調査によって明らかになった。
哲学者でアドラー心理学を研究する岸見一郎は、なぜ成功者が周囲をだましているように感じ、自分の能力や才能で成功したと受け入れられないか、その理由をこう分析する。
「理由は3つ考えられます。第一に、自分の能力が恒常的に続くことが信じられないから。今回はがんばって成功したけれど、こんなことは一回限りだと思ってしまうのです。第二に成功の理由を自分の力以外の要因、例えば幸運にあると考えるから。そう考える人は、『今回は運よくうまくいったけれど、次回はそうとはかぎらない』と不安になってしまいます。そして第三に、失敗したときに備えて保険をかけようとする心理。この心理状態のときには、例えば次の機会に失敗すると、自分の能力や才能の欠如を嘆くより、むしろ能力のなさが証明されたとかえって安堵したりする。これらはすべて自信のなさから起こること。根底には強い劣等感があると考えられます」
岸見はまた、本当の自信がない人の特徴として、他者からプラスにせよマイナスにせよ評価されることを極度に恐れる傾向にあるという。
「本当の自信がないと、他者の期待を満たさなくてはならないと思い込み、周囲の顔色をうかがって期待されていることを先読みして実行しようとします。そして期待に応えられなかったと思うと、たとえ周囲から成功と認められても、素直に受け入れることができずに落ち込んでしまう。称賛されると、自分をばかにしているんじゃないかとまで思ってしまう。かなり屈折した承認欲求であるとも言えるでしょう」
他人の目が気になって踏み出せない?
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対人関係療法専門クリニックの院長を務める精神科医で、衆議院議員でもあった水島広子は、インポスターの心理状態を症候群と呼ぶことには医学的にも懐疑的であるとした上で、日本においては、これまで社会や教育の中で女性に与えられてきたステレオタイプが、インポスターの心理状態を招く一因かもしれないと指摘する。
「日本の女性たちは、自分がリーダーになって引っ張っていくという教育をされていないし、どちらかというとサポーティブな立場にいて、気配りをして隙間を埋めていくような業務を期待されることが多い。そういう立場にいるほうが楽だという女性もいるかもしれません。そうした状況で、たとえ『女性活躍』が政策だからといって、いきなりリーダーシップを求められても自信が持てるわけがありません」
では、例えばプロジェクトのリーダーを打診されても「自信がないからできません」と固辞してしまう人は、どうすればいいのだろう。水島は続ける。
「自分の能力を信じられず、課題を与えられても過剰に『私なんかにはとても無理』と謙遜する人を、私は自虐的自己中心的だと見ています。自虐的自己中心的な人は、自分が周囲からどう思われるか、失敗したら何を言われるかばかりを気にして飛び込めないんです。けれど、自分に今与えられている役割をとりあえず演じてみるというふうに、ときには目をつぶって飛び込むことも大切です。でなければ、応援してくれている人たちの気持ちも冷ましてしまう。誰も一人ですべてを成し遂げることなどできないので、周囲のやる気に水を差さないためにも、まずはやってみることが大切だと思います」
過去を振り返って自覚することが重要。
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「うまくいっているのだから喜べばいいのに、反対に自分を責めてしまい、ダメだと思う自己否定的な感覚を持つことをインポスター症候群というならば、自身の生育環境において『自分はダメな人間だ』と思わされてきた過去があるかもしれないと振り返ってみるのも一つの方法」
こう話すのは、臨床心理学を専門として豊富なカウンセリングの実績がある信田さよ子だ。信田は、例えば自分がやったことを否定された経験が積み重なっていくと、挑戦する前から「自分にはできない」と考えてしまうのは「自然な心理」とした上で、あのとき本当に自分の行動がおかしかったのだろうかと「何度でも」過去を振り返ることが大切だとアドバイスする。
「過去は変えられないなんて嘘だと私は思っています。過去にあったことがどういう意味を持つのか、それによって自分がどう影響を受けたかを考え、過去をポジティブにとらえ直すことで自身が変わっていきます。一番の財産は過去にあるんですよ。過去を振り返らないと、人は前には進めません」
成功と自分本来の価値はイコールではない。
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さて、ここで一度インポスター症候群の定義に立ち返ってみよう。インポスター症候群は、「成功」を手にした人が陥る心理とされているが、果たしてそれは「成功者」に限定される心理なのだろうか。そもそも欧米と日本では、「社会的な成功」という言葉に対して抱くイメージもかなり違うが……。
水島は、「日本社会の女性は、アメリカのように積極的に、自分はこれができます、こんな能力がありますと売り込んで、昇進や名声を勝ち取ることが成功だ、という考え方をあまりしない」とした上で、「成功」という言葉自体に疑問を投げかける。
「そもそも人生は成功や失敗というレベルで測られるものではないと思います。『成功』への執着が人を向上させることは確かにあると思いますが、反対に、それにとらわれるあまり、達成感や自己肯定感が削がれる可能性も。まずは『成功しなくてはならない』という呪縛から解放されることです」
「成功を測る尺度」に注意すべきというのは岸見だ。
「アメリカから始まった新自由主義が求めるのは、効率や生産性の高さ、成果主義、そして成功主義。そうした主義に基づいて、現代社会では金銭、名声や組織での地位を『成功』を測る尺度にしています。それを目標にがんばる人はインポスターの心理に陥りやすいかもしれません。しかし、そういう『成功』は他者の評価によって得られたもので、自分の本来の価値とは関係がない。他者の評価と自分の価値はまったく別物だと切り離すことです」
確かに、金銭や組織の地位などは、成功を測る尺度としてわかりやすいけれど、あくまでも相対的なものだ。目標を達成して「成功」していくうちにしだいに手応えをなくし、もっと稼いで、もっと高い地位を目指さなければと焦燥感にかられるかもしれない。ましてやインポスターの心理状態にある人にとって、「この『成功』は自分の力で勝ち取ったものではない」という後ろめたさを助長する可能性もある。
岸見は「成功と幸福は別物と心得えることです。人生の目標は成功にはありません」と断言する。
「今はできなくてもいい」とありのままの自分を認めよう。
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幸福な人生は「成功」とは別物と思うとしても、自己肯定感が低く、すぐに「自分なんてダメだ」と思いがちだと、社会生活を送る上で生きづらさを感じることも多いだろう。もっと自分の能力に自信を持ち、チャンスがあれば尻込みせずに受けられるようになるためにはどうしたらいいのだろうか?
信田は「ほめられる経験を積み重ねることによって、少しずつでも変わっていく」という。
「でも上下関係のある職場などでは、いくら上司がほめても自己否定感の強い人は素直に受け取れません。だから、たとえば趣味のサークルなどの上下がない平場の人間関係を築き、そこでプラスの評価を得ていくことです。ほめられたら誰でもうれしい。それがどんなにささいなほめ言葉でも、積み重なっていくうちに変わってきます」
同じく「日々の小さな成功事例を積み重ねること」を勧めるのは岸見だ。
「まずは今の自分のありのままの姿を受け止めること。自分の能力を冷静に判断し、能力がないならないと受け止め、そこから努力を始めればいいのです。ハードルの高い目標を掲げてしまうと、挫折したときに『自分はダメだ』とまた落ち込んでしまう。語学の上達を目指すなら、単語を毎日1個ずつ覚えることを目標にし、一週間で7つ覚えられたら自分をほめる。ささやかなことでも続けるうちに、気がつけば成長して自信が芽生えてきます」
水島も「今はそれでいい、と自分を肯定することから始まる」と進言する。
「誰にでもできないことがあるし、良くも悪くも周囲の大人や社会の影響を受けて今の自分になった。そんな自分に向かって、『今はできないんだから、それでいいんだ』と肯定すると、少し気持ちにゆとりが生まれます。そうしたら、今は無理でも、もしやってみたらどうなるだろう? と想像してみればいい。それが例えば、次の世代の道を拓くきっかけになるかもしれない……などと思えれば、思い切って挑戦する勇気がわいてくるかもしれません」
ありのままの今の自分を受け止めること、日常生活の中で小さな成功体験を積み重ねていくこと、周りに目を向ける余裕を持つこと──インポスターの心理に陥らないために、本当の自信を持つ一歩は、きっとこの3つのシンプルなアドバイスにあるのだろう。
特別な人にならなくていい。
Photo: loganban/123RF
ありのままの今の自分でいい、と認めることは勇気がいるが、「私はここにいるだけで貢献している」と自分の価値をとらえ直すことができれば、その勇気が持てる。岸見は、自身のこんな体験を教えてくれた。
「現代社会は『特別な人になる』ことを求めがちですが、特別な人になんかならなくてもいい。普通にそこにいるだけでいいんです。認知症になった父を介護していたとき、食事と排泄以外はほとんど眠っていた父が、ある日こう言ったのです。『ありがとう。おまえがそばにいてくれるとぐっすり眠れる』と。ただそこにいるだけで人は貢献している。自分が生きていることが他者にとって喜びになる、とそのとき知りました」
誰かに認められたり、感謝されることを期待してがんばらなくてもいい。自分はそこにいるだけで価値があると思えれば、きっと「本当の自信」を得られるのだ。
PROFILE
信田さよ子 Sayoko Nobuta
公認心理師、臨床心理士。1995年に原宿カウンセリングセンターを設立し、現在も所長を務める。家族関係から人間関係の悩みまで、多くのこころの悩みに寄り添い解決に取り組んでいる。2019年に出版された新書『後悔しない子育て』を含め、一般向けの著書を多数執筆。
水島広子 Hiroko Mizushima
精神科医、元衆議院議員。慶應義塾大学医学部卒業。日本における「対人関係療法」の第一人者。2000年6月から約6年間、衆議院議員として児童虐待防止法の抜本改正などをはじめとする、数々の法案の修正に尽力。心の健康のための講演や執筆も精力的に行っている。
岸見一郎 Ichiro Kishimi
哲学者。1956年京都生まれ。専門のギリシア哲学に並行してアドラー心理学を研究。2013年に共著で出版した『嫌われる勇気』は、現在も重版が続き、200万部を超える大ベストセラーとなった。近著に『人生は苦である、でも死んではいけない』がある。
Text: Motoko Jitsukawa Editors: Maya Nago, Masayo Ugawa
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July 03, 2020 at 09:17AM
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