戦後イギリスの演劇界に多大な影響を与えた演出家のピーター・ブルックさんが2日、パリで亡くなった。97歳だった。
ロンドン出身のブルックさんは、シェイクスピアの古典やオペラ、現代劇、ミュージカルなど、多彩な作品を斬新で創造的な演出で作り上げ、観客に衝撃を与えつつ魅了した。演劇論の著作「なにもない空間」は、世界各地で数多くの演劇関係者に影響を与えた。1974年からフランスで暮らしていた。
ユダヤ系移民の息子として、1925年3月にロンドン西部に生まれた。演劇とは無縁の家庭で育ったが、オックスフォード大学での演劇活動が注目され、20代半ばにはすでに新進気鋭の舞台人として評判を得ていた。
当時のイギリス演劇界に定着していた数々の決まりごとを打破する、意欲的な演出手法が評価され、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)やロイヤル・オペラ・ハウス、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ・ハウスの演出家を歴任した。
ブルックさんは後にBBCに対して、第2次世界大戦が終わって間もないころのイギリス演劇界は、「古臭く、決まりきったステレオタイプだらけで、シェイクスピアをこれでもかというほど退屈にしてみせる、ごく少数の頭の固い連中が仕切っていた」と話していた。
空中ブランコに竹馬
1950年代を通じてRSCでは、当時の英演劇界を代表するジョン・ギールグッドやポール・スコーフィールド、ローレンス・オリヴィエといった名優たちと舞台を作り続けた。
1970年のRSC版「真夏の夜の夢」では、舞台の上で空中ブランコや竹馬を駆使し、妖精が行きかう幻想のような森の情景を作り出し、大評判となった。
イギリス以外でもニューヨークやパリなど世界各地で、シェイクスピアのほかに、チェーホフ、T.S.エリオット、テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラーなど、数々の作家の戯曲を手がけた。
1970年代になるとパリに活動拠点を移し、実験的な演劇集団「国際演劇研究センター」を設立。数々の国で作品を上演したほか、薬物依存症患者のための公演や、精神病患者のための公演などと活動の場を広げた。
代表作の一つが、上演時間9時間の「マハーバーラタ」。サンスクリット語で書かれたインドの国民的叙事詩を舞台化したもので、フランス・アヴィニヨンの演劇祭で初演されたのち、世界各国を回り、1988年には日本や英グラスゴーでも上演された。
映像作品も
ウィリアム・ゴールディングの小説「蠅の王」を1963年に映画化したほか、1971年公開の「リア王」の映画化では再び主演をポール・スコーフィールドさんに託した。
数々の賞を受賞し、日本でも来日上演した「カルメンの悲劇」や、前述の「マハーバーラタ」も映像化した。
息子サイモン・ブルック監督によるドキュメンタリー「タイトロープ(綱渡り)」では、映画監督としてのブルックさんが隠しカメラを使い、俳優たちが演技に集中できるようにした様子が紹介されている。
「綱渡り」とは、ブルックさんが演技指導にしばしば使った手法で、綱が高い空中に張られていると想像して、その上を歩いているつもりで好きな動きをするよう、俳優たちに求めた。
1951年に俳優ナターシャ・パリーさんと結婚。パリーさんは2015年に亡くなった。
ブルックさんは何より、発想や概念に興味があったと言われている。人に衝撃を与えるのが好きで、その作風は、洞察と直感と図々しさが予想もしない形で組み合わさった、意外性あふれるものだったと評価されている。
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