同番組はラジオを「ラボ」に見立て、藤原しおりがチーフとしてお届けしている。「SDGs」「環境問題」などの社会問題を「私たちそれぞれの身近にある困りごと」にかみ砕き、未来を明るくするヒントを研究。知識やアイデア、行動力を持って人生を切り拓いてきた有識者をラボの仲間「フェロー」として迎えて、解決へのアクションへと結ぶ“ハブ”を目指す。
イギリスの演劇学校で体験した「抱き合う授業」
鴻上さんは早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」を結成し、作・演出を手掛ける。作家として著書も多数あり、『鴻上尚史のなにがなんでもほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』(朝日新聞社)や、27年間にわたって『週刊SPA!』(扶桑社)で連載したエッセーを再編集した『人間ってなんだ』、『人生ってなんだ』(ともに講談社)を出版。9月22日(木)にはさらに『世間ってなんだ』(講談社)を出版する。藤原:鴻上さんはイギリスに1年間いたんですよね。
鴻上:演劇学校に留学しました。9月に入学して、みんなすごくナーバスになっているときに、「cuddle」(抱きしめる)という、部屋を暗くしてクラスメートがお互いハグしたまま10分とか15分いるだけというレッスンがあって。
藤原:えー! 興味深いです。
鴻上:いざやってみると、相手も不安だから、不安な者同士が抱き合うのは実はとっても、やってみるといいものだなというか、本当に安心するなと思いました。クラスメートの男女でハグするんですね。僕は余っちゃったから男同士だったんだけど(笑)。日本人は抱き合う習慣がないよね。恋人でもないし、付き合ってもいないのに10分とか15分ずっと抱き合っているのは、文化的にも肉体的にも日本人はまだ難しいだろうね。
藤原:肉体的に寄り添うと、精神的にも寄り添った気持ちになる効果があったと感じられたということですね。
鴻上:そう。それに気持ちが寄り添っているときって体も近づいてるよね。日本人でも、ハグすることはなくても背中をさすってあげるとかね。相手に寄り添ってあげたい、「この人、本当に今つらそうだな」と思うとやっぱり体が近づいていくし、相手が嫌がらなければ、「背中をさすってあげよう」っていう気持ちにはなるよね。
シンパシーとエンパシーの違い
鴻上さんの著書『人間ってなんだ』の前書きから一部抜粋、編集して紹介。鴻上さんは演劇の演出家という仕事をするなかで「人間ってなんだ」と考え続け、「シンパシーとエンパシーの違い」に気づいたそうだ。「シンパシー」は「同情」を意味する言葉で、たとえば「シンデレラはずっと奴隷のように働かされてかわいそうだな」と同情する心を指す。
一方の「エンパシー」は「共感」を意味する言葉で、相手の立場に立てる能力。「共感力」と訳されることもあるが、それでは誤解される可能性があると鴻上さんは指摘する。「シンデレラの継母はどうしてあんなひどいことをしたんだろう」「ひょっとしたら○○という理由だろうか」と考えられる能力がエンパシーであり、継母に感情移入する必要は一切ないという。つまり、共感はしないけれど、その行動の理由を考えるのだ。
鴻上さんは、シンパシーは感受性の問題として語られがちである部分は天性のものだと思われる、しかしエンパシーは能力であり、育て上げることができると綴っている。これは演劇だけに限った話ではないのだとか。
鴻上:実は子どもの頃の「ごっこ遊び」ってエンパシーを育てる遊びだったのね。お姫さまになったり、ままごとでお母さんお父さんになったり、忍者になったり。自分以外のものになると「そうか、こういう風に考えるんだ」と思えるわけです。「俺は悪者の役をふられちゃったから悪者として海賊の親分をやる」「海賊の親分だったら、ここで簡単に許さないと思うよ」みたいな、自分じゃないものになる思考訓練が、エンパシーを育てていくことになるのね。
鴻上さんは「日本人って昔から『自分の好きなことを人にしてあげなさい。自分の嫌なことは人にしないようにしなさい』ってずっと言われてきたんだけど、これってシンパシーなんだよね」という。
鴻上:僕ら日本人は、いい面も悪い面もあるんだけど、ついシンパシーがあれば許してもらえるみたいなところがあって。それこそ番組とかで、「絆」や「思いやり」、「ひとつになって」みたいなことが、戦うものとかスポーツ競技で語られる。でもひとつにならなくても「あなたの事情を理解したい」というのが育っていくといいな、ということなんですよね。
自己肯定感は「生きていていいと思うこと」
続いて2人は「自分に寄り添う」をテーマにトークを繰り広げた。鴻上:「自分に寄り添う」とは、自分を認めるということなんじゃない? よく自分のことを大嫌いだという人がいるけど、別に大好きにならなくてもいいから「いまの自分はこういう自分なんだ」という。残念なところもあるし、自分でちょっと「いいな」と思うところもある。そういう風にいまの自分自身の在り方を認めることが、自分と付き合っていくうえで大事なことで、それができればラクになるんじゃないかな。
藤原:「大好きにならなくてもいい」がポイントですよね。いま「自己肯定感」という言葉がよく使われます。どこかそれがプレッシャーになっているというか、好きにならないといけないと感じてしまう。
鴻上:自己肯定感を日本人は誤解していて。「生きていていいと思うこと」が自己肯定感だからね。自分のことが好きだとか、自分のことをポジティブに大絶賛するというのは自己肯定感ではなくて、「自分は生きていていいと思える」というレベルなんだけどね。
藤原:そこを誤解していますね。日本人にとっては「自分に寄り添うってなんだ?」って今の時代になって一番混乱していると思うんです。
鴻上:これは日本人だけじゃないんです。たとえばアメリカ人だったら、常に快活でエネルギッシュでスマートというイメージがあって、それをキープすることがみんなしんどくなってきているんです。「そんなに常に前向きでエネルギッシュなわけないじゃん」みたいな。
日本と外国の「おもてなし」の違い
「朝日新聞GLOBE+」から一部抜粋、編集して紹介。障がい者や高齢者に配慮したバリアフリーをビジネスや社会のあらゆる場所で提案している株式会社ミライロの代表・垣内俊哉さんは、ハード面では日本の街のバリアフリーは諸外国と比べて進んでいると話す。しかし「どうされますか?」とニーズを尋ねる「ハートのバリアフリー」が必要だと訴えた。そのためハード面と同時にミライロが力を入れてきたのは、どういうサポートをすればいいのかわからない、という声に応えるための研修と「ユニバーサルマナー検定」。
「ユニバーサルマナー検定」とは、障がい者だけでなく、多様な人々の視点や特徴をまず知ること、そしてアクションを起こすための具体的なサポート方法を学ぶカリキュラムを当事者たちが監修したものだ。
藤原:鴻上さんはこれをどう思いましたか?
鴻上:いいと思いますよ。いろんな人がいろんな考え方を知るのはとってもいいこと。これも実はエンパシーの話ですよね。僕は『COOL JAPAN~発掘!かっこいいニッポン』(NHK)という外国人を集めた番組を17年ぐらいやっていて、「おもてなし」が話題になって。「日本旅館はおもてなしが命なんだ」って。おもてなしってなにかと言うと、ごはんを食べに行っているあいだに布団が敷かれているとか、朝に「おはようございます」と起こされる。これに対して外国人は「プライバシーはどうなっているんだ」という反応なんです。「じゃあ、あなた方が言う、いいホテルのおもてなしってなに?」って訊いたら「フレンドリーだ」って言うんだよね。つまり、どういうことを求めていて、どういうことをしてほしいですかということを、フレンドリーに言い合える関係のホテルが一番おもてなしのすばらしいホテルなんだという風に言う。日本人は「なにも言うな、わかってる。あなたのやりたいことを全部先にやるから」というのがどこかに残ってるから。でもフレンドリーでいいんですよ。つまり「車いすから普通のいすに移れますよ」と言ってくれたら、そうしましょうと。フレンドリーであることが一番大事ということです。
藤原:うわあ、興味深いです。同じことでも海外の方にとっては、「よかれと思って」を押し付けられているということなんですね。
鴻上:「私が知らないうちになんで部屋に入るんだ」っていう。だって下着も出していたりいろいろなことがあるのに、「プライバシーを無視するのか、この旅館は」っていうことがあったりするみたいなね。「よかれと思う」というのは「シンパシー」だよね。だから「エンパシー」として相手と会話する(ことが大事)。
J-WAVE『HITACHI BUTSURYU TOMOLAB. ~TOMORROW LABORATORY』は毎週土曜20時から20時54分にオンエア。
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