ただでさえ、智咲はオーナーに怯(おび)えている。 通報したのにも、よほどの勇気を要したことだろう。 彼女を委縮させず、知っていることを隠さずに話させたかった。 こうしている間にも、苦しみに喘(あえ)ぎ恐怖に怯えている犬や猫がいるのだ。 「オーナーを一言でたとえれば、天使と悪魔です」 「天使と悪魔?」 涼太が鸚鵡(おうむ)返しした。 「はい。あんなにいい人はいない、あんなに動物好きな人はいない、無償の愛に溢れた人だ、マザーテレサの生まれ変わりのような人だ……オーナーと接する人はみな、口を揃えて称賛します。でも、オーナーには悍(おぞ)ましい裏の顔があります。ペットショップの犬は、犬種や個体によって差はありますが、だいたい生後三ヵ月を過ぎたあたりから売れなくなり、販売価格を下げます。四ヵ月からはほぼ売れなくなり、ペットショップからすれば商品価値がゼロという判断になります。商品価値がゼロになった犬には、何通りかの道があります。店員が引き取るか、知り合いに格安で売るか譲渡する、保護犬施設に引き取られる、生産者の繁殖用として格安で販売するか譲渡する、動物病院の輸血用として引き取られる、獣医学生の手術の練習台として大学に引き取られる、製薬会社の実験用として引き取られる、動物愛護相談センターに持ち込まれる……ほとんどの場合、憐(あわ)れな末路を辿(たど)ります。でも、血の通ったオーナーなら、知り合いに譲るか保護犬施設に引き取って貰います。ですが、ウチのオーナーは売れ残った犬達を狭いクレートに入れてバックヤードの物置に閉じ込めて世話もしないんです」 「トイレマットの交換をしないってことですか?」 璃々は訊ねた。 「全部です。散歩にも連れて行かないし、シャンプーもしてあげません。お金がかかるという理由で、身体の大きな子にも餌は少量のドライフードを日に一回、十粒程度をクレートに直接放り込むだけで……。一度、かわいそうに思ってペーストフードをボウルに入れてバックヤードの犬にあげたら、バレてしまってひどく怒られました。こいつら売れ残りは一分一秒経つごとに、赤字を生み出し続けている。餌なんて、繁殖業者に引き渡すまでに死なない程度にあげてればいい。むしろ死んでくれたら手間が省ける。ゴミ袋に詰めて可燃ゴミに出せばいい。今度余計な真似をしたらクビだ……いま思い出しても、恐ろしい鬼の形相でした」 言葉通り、智咲の顔面は蒼白(そうはく)になり黒目は落ち着きなく泳いでいた。 「ひどい……なんて奴だ……」 涼太が怒りに震える声を絞り出し、テーブルを掌で叩いた。 驚いた周囲の客の視線が、一斉に集まった。 「落ち着きなさい」 璃々は涼太を窘(たしな)めたものの、気持ちは同じだった。 しかし、いまは怒りに身を任せている暇はない。「セレブケンネル」の全貌を掴み、報告書とともに立ち入り検査の申請書を出さなければならない。 捜査部長の判子がなければ、原則的に立ち入り検査はできないことになっている。 だからこそ、早く報告書を作成し一秒でも早く兵藤の説得に当たりたかった。 だが、兵藤が簡単に納得するとは思えない。 最悪の場合、強行突破も厭(いと)わない覚悟を決めていた。 「何頭くらいの子達が、バックヤードに閉じ込められているんですか?」 璃々は訊ねた。 「私がバイトしていたときには、十数頭はいました。だいたい、生後四ヵ月を過ぎたあたりが目安になります。ほかは、怪我したり病気になった子なんかも一緒に閉じ込められていました」 「病院にも連れていかないなんて……」 涼太が、声を震わせた。 「動物愛護相談センターには、相談しなかったんですか?」 璃々は、初歩的な疑問を口にした。 動物虐待を目撃した人達は、「TAP」の前に動物愛護相談センターに通報する場合が多い。 「三ヵ月くらい前、店をやめてすぐに相談したんですけど……」 智咲が、言葉を濁した。 「なにか問題でもあったんですか?」 璃々は質問を重ねた。 「問題というか……オーナーサイドから圧力がかかるみたいで、現場は動きたくても動けないようです」 智咲が、腹立たし気な表情で言った。 「オーナーサイドの圧力って、どういう意味ですか?」 「実は、北川さん達も二の足を踏むかもしれないと言わないつもりだったんですが、オーナーの父親は東京都福祉保健局の幹部なんです」 「えっ、マジですか!?」 涼太が、素頓狂な声を上げた。 無理もない。 東京都福祉保健局は動物愛護相談センターの上部団体であり、「TAP」の存続に関する決定権を持っている東京都の行政部局だ。 「部長がいつになく強硬だったのは、だからですよ!」 涼太が、智咲から璃々に視線を移した。 ようやく、納得がいった。 「TAP」の命運を握っている行政官庁の幹部の息子が経営しているペットショップに立ち入り検査をするなど、事なかれ主義である兵藤からすれば、燃え盛る炎に飛び込むようなものなのだろう。 「やっぱり、だめですか?」 諦めと後悔の入り混じった表情で、智咲が訊ねてきた。 「なぜですか?」 「だって、会社で言えば社長の息子の店を訴えるようなものでしょう?」 「たしかに、そういう構図かもしれません。でも、社長の息子であっても、いいえ、社長であっても悪いことをすれば罪を償わなければなりません」 璃々は、一片の迷いもなく言い切った。 「先輩、また悪い癖が出た。そんなことを、軽々しく言っちゃだめですよ」 涼太が、諫(いさ)めてきた。 「なにを恐れてるの? 相手が、『TAP』の上部団体だから?」 「ちょっと、いいですか?」 璃々の問いに答えず、涼太が席を立ち店の外に出た。 「なによ? 三吉さんが、不安になるじゃない」 「俺が一番怖いのは、東京都福祉保健局を恐れる部長です」 店外に出るなり、涼太が話を再開した。 「いままでも先輩は相当な無茶をしてきましたけど、最終的に部長が目を瞑(つぶ)ってきたのは自身に火の粉がかかる心配がないと判断したからです。だけど、今回ばかりはそうはいきません。『セレブケンネル』に立ち入り検査の許可を出したら間違いなく部長の責任問題に発展し兼ねませんし、いいえ、『TAP』が存続できなくなる可能性があります」 「だから、狭いクレートに閉じ込められて、ろくに餌も貰えず死を待つような生活を強いられている犬達を見殺しにするって言うの?」 璃々は、涼太の眼を見据えた。 「そうは言ってません。ラブ君に任せましょう」 「ラブ君に?」 「ええ。『セレブケンネル』のオーナーがやっていることが本当だったら、立派な虐待罪です。ラブ君の出番でしょう」 「そういうわけにはいかないわ。まずは『TAP』が捜査をし、動物達を保護し、飼い主を『説得室』で取り調べ、改心が見られない場合は警察に引き渡す。なぜ、この手順を踏むかわかる? それは、動物がかかわっているからよ。警察の職務は犯人を逮捕することであって、動物の心をケアすることは入ってないわ。『セレブケンネル』のオーナーを逮捕することはできても、虐げられていた動物達の心と身体の傷を癒すのは私達の使命なのっ。保身のために動物達の叫びが聞こえないふりして警察に丸投げするなら、『TAP』の存在意義がないでしょう!」 無意識に、拳を握り締めていた。 涼太の顔が滲(にじ)んだ。 心が震えた……暗闇で孤独と恐怖に怯える犬達に。
新堂冬樹(しんどう・ふゆき)
金融会社を経て、「血塗られた神話」で第7回メフィスト賞を受賞して作家デビュー。 『無間地獄』『闇の貴族』『カリスマ』『悪の華』『聖殺人者』など著書多数。近著に『極限の婚約者たち』『カリスマvs.溝鼠 悪の頂上対決』など
"なに" - Google ニュース
August 07, 2020 at 03:10PM
https://ift.tt/3gCwJHT
【連載小説 第48回】新堂冬樹『動物警察24時』 可愛がってくれる里親を待つ犬たち(本がすき。) - Yahoo!ニュース
"なに" - Google ニュース
https://ift.tt/2SNxZ03
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update
No comments:
Post a Comment